『キリスト者として生きる』
矢野牧子(元九州地区主事)
ある学内聖研での出来事。

A:「こないだの聖研とても良かったですね。」
 ちょうど一週間前、「聖書のこの箇所が面白い」「この箇所に励まされた」とクリスチャン学生と熱く話していたのをただひたすら聞いていた求道中のAさんのこの発言にちょっとびっくりしつつ、
私:「そう?なんが(何が)そげん(そんなに)良かったと(良かったの)?」
A:「だってみんなバリバリ(本当に)聖書に書いてあることを感動して読んどー(読んでいる)のが分かったけん(分かったから)。こんなに聖書の事を『すごかぁ!!(素晴らしい)』っていう人に初めて会いましたよ。」

 キリスト者として生きる事は、この世の中では受け入れられないことだと思い込んでいるふしがある。確かに神を知らない人にとって、聖書を本気で信じている事、祈る事、日曜日毎に教会に行く事…など変(カレン主事の言葉を借りれば、エイリアン)かもしれない。けれどこの出来事を通して、こちらが本気でキリスト者として生きる時、神様はそれを励ましてくださるし周りにも確実にその事が伝わるものだということがよく分かった。ソロモン王だってそう。(T列王10:1-13)シェバの女王はソロモン王が神からいただいた知恵だけでなく、衣食住に関すること、家来の態度までチェックしている。結構厳しい。それでも、やっぱりソロモンの生活を通しての証は、ばっちり伝わっている。

 キリスト者として生きることは、神との交わりの中で生きていくこと。その中で、自分の弱さや醜さを「これでもか」ってほど示され、そこから目を背けたくなる誘惑に駆られる事さえあるだろう。しかし、自分の罪の大きさを知れば知るほど、神の愛の大きさもより深く知ることができるのと思う。私のような者が救われているという不条理の中で生きる事ができるのは、イエス様が私のような罪人が滅びていく事を惜しみ、悲しんでくださったから。そして、しつこいくらい救うぞ!!と徹底的に救ってくださったから。私たちはただキリストの福音にふさわしく生活しよう。(ピリピ1:27)。
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