『心に残る経験を、夏に!』
山崎龍一(総主事)
先日、子どもを連れて横浜の花火大会に行きました。2時間前に到着したのに、満員電車のように人がいる横浜の山下公園。子どもを「おんぶ」して、花火をみました。子どもの「うわ〜きれい!」「どうやって花火って作るんだろうね?」「大きくなったら花火を作る人になる!」という言葉を聞きながら周囲をみると、カメラ付携帯で花火を写している人が多く、直接花火をみていない若者が多いことに気がつきました。そういえば、子供の小学校の運動会でも、カメラやビデオのためにファインダーを通して、子供たちを見つめている親の何と多いことか・・・・。
映像に残す花火よりも、親子で触合いながら空を見上げたときの温かさ、海風の香り、出店で買ったカキ氷、大きな音にドキドキしたこと・・・そんな心に刻まれた思い出のほうが、記録としての映像よりもはるかに価値のあることだと思うのです。
出来事を正確に「記録に残す」ツールは、次々に進歩しています。しかし、色あせることのない「わずかな」記憶は、多くの「記録」よりもその人の人生に豊かさをもたらします。
例えば聖書の読み方も、いろいろなディボーションのテキストが出ています。それぞれ、とても助けになるものだと思いますが、いつの間にか「ディボーションテキスト」というファインダーの中から聖書を読むことで、直接、みことばから味わうことが減ってしまうことってありませんか?
求道者の質問に正確に答えようとして、必死で学ぶことは良いことですが、質問に正確であろうとするあまりに、相手の気持ちを理解したり、その人の隣人になることよりも、正解探しをしてしまうことってありませんか?
今年の夏、夏期学校や様々なKGKのプログラムがあるかもしれません。みなさんの心には、何が刻まれるのでしょうか?