『生涯運動としてのKGK』
山崎龍一(総主事)
今年の夏、東北地区卒業生会のキャンプに参加した。また、このキャンプには全国各地から「代表者」も集まり、さながら卒業生会版「全国協議委員会」のようだった。初対面の人とも、「KGKの卒業生です」という自己紹介はなんともいえない安堵感を与えてくれるので不思議だ。
私見だが、人生の試練は学生時代よりも卒業してからのほうが重くのしかかってくるように思う。そして学生時代、人生について真剣に考え、悩み、そして仲間と分かち合うことを通して培われた経験が、その試練に対する大きな支えとなる。
人生の試練・課題を乗り越えていくものは、安易な「解決策」ではなく、真剣に神を信頼して生きようとする人格であり、その人格はKGK運動を通して私たちに与えられる神様の賜物ともいえる。KGK運動を通して、学内伝道に励んでいた一人一人が「KGKという生き方」を知らず知らずのうちに、しかし確かに刻み込まれていることに気がつく。
KGKは学内伝道をする運動体であるにも関わらず、「伝道マニュアル」をもたず、定期的に集まり、聖書を開き、共に祈り、友を信頼する・・・この単純な繰り返しに過ぎない。しかし、そこで形成される「生き方」が、キリストを伝えることになる。
「KGKという生き方」を心に刻まれた学生が卒業生し、社会の荒波の中で、責任を担い、困難の中で希望を失わず、職場や家庭を「神から遣わされた場」として受け止め、そして地域の教会に仕えていく。KGKは歴史の中で、学生の小さな祈祷会が実を結び「教会の枝としての働き」として成熟していくのではないか。