『悩むことのススメ』
山崎龍一(総主事)
ある学生と話をしていたとき、「信仰をもっているけれども、そこだけは触れて欲しくない微妙なところがありますよね…」と、話してくれた。進路関係や恋愛結婚のテーマになるときに、この「微妙なところ」が見え隠れする。
「信仰で進路を導かれたいので御心を示されたい」のだが、本音は、自分の「なりたい職業」は自分で決めている。「みこころの結婚を願っている」のだが、本音は自分の「好き」な人と結婚したいのであり、その人は御心の人というよりも、「かわいい人」「やさしい人」などすでに条件が決まっている。そして、神様は私の嫌いな人と結婚させるはずがないと・・・。
「そういう信仰の正論は頭では分かっているのだけれど・・・」と、自分の不信仰を嘆くキミ。悩むことは、不信仰ではないぞ!自分の心をごまかして「信仰ぶっている」ほうが、人生にとって損失なのだ。
人生の重大な出来事(例えば、就職や結婚)をこれから決めるキミ。それらは一度も経験しないのに信仰によって決断し、一生責任を負う内容なのだ。悩むことは、信仰者の人生にとって大きな「宝」だ。悩むことを通して、私たちは本当に祈ること、委ねることを知るのだ。悩みながら大きな祝福を受けることができる。悩みがなくなるとき「信仰的」になるのだったら、一生信仰では歩めない。
人生の成熟は、真剣に自分の姿を神の前に差し出し、そこに福音の光が照らされ、神様の息吹を受け、困難の中にあって希望を失わずに歩むことだ。
青年期には、悩むことがたくさんあるはず!
青年期は、人生の完成のときではない。分かったふりをするのはやめよう!
真剣に悩もう! 祈ろう!
キミの人生の土台形成の時期に、祝福あれ!