『理由を持って!』
ホワイト・ナンシー(元北海道地区主事)
コカ・コーラが大好きな私は現在のコカ・コーラ「No Reason」というキャンペーンソング又スローガンがとても気になっています。皆さんはこの「No Reason コカ・コーラ」というテレビのコマーシャルをを見たことがあるでしょうか。このキャンペーンはシリーズになっていて、それぞれが「No Reason コカ・コーラ」という歌い文句で終わっています。
シリーズの一つは森の中で、太陽の光に照らされた大学生の男女が向かい合っていて、女の子が男の子にキスをするという場面でした。それから女の子は、「私、なんで津田君とキスしてるんだろう」というセリフを言った後、「No Reason コカ・コーラ」という曲が流されました。現実にはNo Reasonで人にキスすることは考えられないことではないでしょうか。
大学Co-opでこのキャンペーンのチラシを見付けました。チラシには「その瞬間、突然、無性に、どうしても。」という「No Reason」の説明のような言葉が書かれていました。この「No Reason」というキャッチフレーズは理由はいらない、理由なしで行動ができるという意味合いらしいです。
けれども理由なしで行動することは私たちの神様に与えられた人間性を否定することになるのです。何故かというと人間は神様に似るように造られ、神様に似るように造られた気高い特性の一つは考える能力があるということだからです。人間は理性を持った者として創造されているのです。私たちは自分自身の頭を働かせ考えることをしないと動物のレベルに下がってしまいます。
詩篇73:22「私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。」又詩篇32:9にこういう警告があります。「あなたがたは、悟りのない馬や騾馬のようであってはならない。それらは、くつわや手綱の馬具で押えなければ、あなたに近づかない。」
動物は本能のままに行動するように創造されました。しかし私達人間は理性のある意志決定によって振る舞いをするように創造されました。
神様はイスラエル人にこのように言われました。「さあ、来たれ。論じ合おう。」イザヤ1:18
ルカ12:54−57にイエス様は信じようとはしない群衆やパリサイ人やサドカイ人に対して天気を予測することが上手にできるのにどうして時代を見分けることができないのか、つまりどうして神様のことや神様の裁きを見分けることができないのかと訴えられました。イエス様は彼等にこう尋ねられました。「なぜ自分から進んで、何が正しいかを判断しないのですか。」57節、言い替えれば天気を予測する常識、つまりこの世で使われている常識をなぜ霊的な世界に働かせないのかという問い掛けなんです。
パウロはこう進めています。「兄弟たち。物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい。」第一コリント14:20 「時間の管理」という本の中にこう書いてありました。「私がどんな失敗をしたとしても、どんな過ちを犯したとしても、公で又私生活でどんな愚行を見たとしてもそれはすべて考えずに行ったことの結果なのです。」
No Reasonではなくて、与えられた理性を生かして聖書的に物事を考えて、判断して、行動するクリスチャンになるようにお互いに励ましあいましょう。