『ここにKGKがある!』
田中秀亮(関東地区主事)
 世間一般では、その名称の頭文字をとって略称で呼ぶことがしばしばあります。JR(Japan Railway)、P.S.P(Play Station Portable)は良い例でしょう。KGKとは『キリストシャガクセイカイ(キリスト者学生会)』という、日本語の頭文字をアルファベットで表した略称です。
 KGKは戦後まもない頃に、幾人かの学生たちに主が働きかけて始まった運動です。では、今日までの約60年間続けられてきたこの運動は、一体どんなものなのでしょうか?『キリスト者学生会』という言葉を『キリスト者』と『学生会』の2つに分けて考えてみたいと思います。

@ 福音主義
 まずは『キリスト者』の意味から考えてみましょう。しかし、この言葉だけでは包括している範囲が広いので、KGKに集う学生がどのようなキリスト者かこれだけではわかりません。なので、まずはこの言葉が含む範囲について考えてみましょう。
 キリスト者とは、イエス・キリストを神(救い主)として信じ、その教えに従って歩む者と定義できます。まずはこのような理解と信仰に立ったキリスト者が条件となります。
 次に聖書に対する理解という面から考えてみると、『福音主義』という言葉がkeyになります。この言葉を調べてみると、『「聖書は誤りなき神のことばである」という信仰こそ、「福音主義」としてKGKが最も大切にしているスピリットです。』(学生の伝道 P.11)と説明されています。しかし、信じることが単なる告白に過ぎないならば、その人は真の福音主義者とは言えないでしょう。聖書にも『ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。』(ピリピ1章27節)とあるように、私たちは、生活そのものに福音である神のことばが介入していくことが求められているのです。この福音主義こそ、KGKの根幹であり、私たちは生活全体がみことばに照らされ、主の前に献身させられていくことを求め、また励まし合うのです。

A 超教派
 福音主義を掲げる教会は様々な教団・教派があります。KGKに集う学生たちは実際色々な教団・教派から集まって来ていますが、根本的な聖書理解(福音主義)が一致しているので、協力していくことができるのです。このことをKGKでは『超教派』と呼んでいます。

B 学生主体
 では、次に『学生会』という言葉に注目してみましょう。『学生』とありますが、これは大学生、短大生、専門学生、院生などが該当します。彼らが集まって何をするのかといえば、それは『学内伝道』のためだと言えます。学友の救いのために共に協力して働くのです。一人一人学校にやって来た経緯は違えども、そこに今自分がいるのは、やはり主からの召しであり、その遣わされた地でみことばに従い、神に献身し、主の栄光を現していくのです。だから、この運動の主体は他でもない、『学生』なのです。『学生の、学生による、学生のための運動』(学生の伝道P.18)なのです。KGKではこのことを『学生主体』と呼んでいます。

 以上KGKとは何かと考えてきましたが、福音主義という土台がまず確固としてあり、その上で、お互いの教団・教派を越えて協力し合う学生たちが学内宣教を担っていく運動、これがキリスト者学生会なのです。以上のことに賛同するならば、あなたも是非KGKに!
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