『PRIDE』
高橋利枝(元関東地区主事)
人は皆、何らかのプライドを持って生きている。プライドは、正しい方向に適度に用いられるならば、その人を向上させ、周囲にも良い影響を与えるだろう。たとえば、職人さんの仕事に対するプライドは、結果として多くの人に信頼され指示される仕事に繋がっていく。
しかし、聖書がしばしば警告を与えているように、罪人である私たちにとって、プライドはマイナスの方向に働くことが多い。頑なな心は、プライドから生まれる。プライドが高ぶりとなる時、人は自分を絶対化し、自分と違うものを受け入れることを拒むようになる。そして、もはや人の批判や忠告に耳を傾けるゆとりさえも失ってしまうのだ。
「誇るものは、主にあって誇れ。」と聖書は言う。主にある誇りとは、自己中心や高ぶりとは程遠いものであるはずだ。私たちは、つまらないプライドにしがみついて、本当に大切なもの、大切な人間関係を失ってはいないだろうか。キリストにあって、必要のないプライドはすべて取り去っていただけるよう願っている。