『「ENJOY JESUS!」 本当のキリスト教』
グラハム・スミス(元関西地区主事)
 私は日本に来て15年間たちますが、言葉の苦しみはまだまだ続いています。できるだけ日本人らしい日本語を使いたいですね。そのため、日本語を学び始めた時、英語を全く使わずに話そうとしていました。でも、時々困ったことがありました。ある時、駅で電話しようと思って売店に行き、

「電話厚紙(あつがみ)がありますか」と聞きました。
「ええ?何?」
「電話厚紙」
「ありません!」
「電話したいんですが、電話厚紙はどこで売っているか知っていますか?」
「ああ、テレフォンカードですね。ここで売ってますよ!」
「ああ。すみません。テレフォンカードをください」

 もう一つ、日本語になった英語を紹介しましょう。「ENJOY(エンジョイ)」という言葉です。これはキリスト教を表す言葉の一つです。キリスト教の定義の一つは「本当の喜びに生きること」と言えると思います。ですから、パウロハはピリピ3:1でこう勧めています、「主にあって、喜びなさい。」この節だけでなく、手紙全体のテーマは喜びです。おそらく、パウロが現代の日本語で書いたなら、「enjoy」という言葉を何回も使ったはずです。少し変な文法ですが、例えば:

1:4パウロはいつも「enjoy」してピリピ人のために祈っています。
1:18パウロはキリストが宣べ伝えられているので、「enjoy」しています。
1:25、26にはパウロはピリピ人の信仰の進歩を「enjoy」するために生きています。
2:2を見ると、ピリピ人たちが一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ志し(こころざし)を一つにしたら、パウロは「enjoy」することが出来るようです。
2:17、18パウロは苦しみのなかでも、「enjoy」しています。
2:28、29兄弟のエパフロデトの来る事によって、「enjoy」することが出来ます。
4:1、4、10にも、「enjoy」という言葉が出ているでしょう。

 「主にあって喜びなさい」"Rejoice in the Lord" 「ENJOY JESUS!」。これはキリスト教の中心的な勧めです。キリストを喜ぶことです。パウロにとって、何回でも何回でも書きたいほどこの戒めは大切です。ピリピ3:7−11を見るとその喜ぶ生き方が説明されています。キリストを中心とする生き方です。キリストを知る(8節);キリストを得る(8節);キリストの中にある者と認められ、義を持つ(9節);キリストの復活の力を知る(10節);キリストの苦しみにあずかる(10節);希望に満ちた生き方(11節)をすることです。KGKの学生がその喜びに満たされ、学内の友人にも分ち合うことができるように祈っています。
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