『アナタだったら、どうする?(ダニエル1章)』
王美珠(関西地区主事)
まず、あなたの一番住みたくない国を想定して下さい。ある日、突然、捕虜としてその国に無理矢理に連れられていきました。また、向こうの風習・言葉・宗教・ありとあらゆることにおいて違和感を覚えているとします。しかも、一生、母国に帰れないという状況に置かれかねないのです。どうしますか?

2500ほど前、実際に、こういうことが起こりました。何人かのユダヤ人の少年たちはバビロンに連れられていきました。青年たちは多分、皆さんと同じ年齢です。そのうちの1人は、ダニエルでした。学生の皆さんは上記に書かれた状況に置かれていなくても、キリスト者としてこの世に生きていく上で、類似した状況とも言えるのではないかと思います。これから、一緒に見ていきましょう。

内容を把握しましょう

ネブカデネザル王は人材育成の為に、ある計画を立てていました(v3〜4)。それは、適任者を選出する為、幾つかの条件を出しました。どんな条件かと言えば、立派な素性の青年で完全無欠の青年でした。要するに、知能や吸収力の高い少年がが必須条件ととして選ばれなければなりませんでした。養育期間は大学とあまり変わらない、3年でした。

彼らの訓練の期間中に、王のこだわりのメニューに沿って、訓練を受けなければなりません(v5)。彼らにとって信仰上の理由で困難に覚えていることでした。なぜなら、彼らはユダヤ人だから、子供の頃に教わった食物に関する規定に精通し、神に定められていない食物(例えば、豚肉など)が食べられません。でも、この理由より、もっと深刻な側面があります。それは、すべての食べ物はバビロンの神々にささげられた後、回ってきたものです。それは、困りますよと、ダニエルたちが判断し、絶対、神に喜ばれないことをしたくないと、決断しました(v8)。

ダニエルと3人の友達の名前は完全に変えられました(V6〜7)。何を意味すると思いますか?彼らのアイデンティティーを忘れさせようとする仕組みなのではないかと思います。意識改革の一環として行われたとも言えます。本来、聖書的な意味合いが含まれてい彼らの名前は、バビロンの神々の名前が入っている名前に変えられてしまいました。

そして、宦官の長に素食にして下さいと願いました(V10)。すると、宦官の長は彼らの願いにちょっと躊躇しました。なぜかというと、王様は恐ろしい人物であり、万が一ばれてしまったら、首どころか、処刑されるに決まっているという厳然たる結末が待っていると、宦官の長もすでに分かっていました。ですから、「イエス」とは言えなかったでしょう。

そこで、ダニエルたちは諦めずに、世話役にたった10日間というこころみの期間をお願いしてみました(V11−14)。何が起こったかというと、彼らの見た目は衰えず、むしろ高級な食事をしている青年たちに比べて、断然元気な姿を見せてくれました(V15−16)。

青年たちは訓練期間が終ると、王様に仕えることになりました(V17−20)。ダニエルと友達は誰よりも優秀であったことが記されています。ダニエルだけに夢を解き明かすという特別な才能が与えられました。しかも、王様にも認められています。

この個所から神について何が学べますか?

@主権者である神(v2、9)
神は歴史の動きだけを支配するのではなく、私たちの人生まで支配しておられます。それぞれの置かれている状況や境遇は違いますが、神は私たち1人ひとりのことをよく知っています。決して無関心ではありません。逆境であろうが、順風満帆な生活であろうが、神の私に対する関心度と愛は変わりがないです。時に、私たちは自分の状況に圧倒され、神なんかいないのではないかと半信半疑で思うこともあるのではないでしょうか。主にあって無駄な人生はないです。先が見えない私たちは、神を主権者である神として堅く信じなければなりません。そうでないと、すぐ失望するに違いありません。

A持ち主である神(v17+ 2:20b、37)
私たちのすべて(才能・知能・賜物・財産・時間・命・などなど)は主のものです。このような帰属意識が、皆さんはどのぐらいありますか。ですから、謙遜にならなければなりませんよね。ダニエルはまさにそうでした。彼は、2章のところで、王様の夢を解き明かす前に、自分の能力に関してこう言いました(2:30)。事実として、ダニエルは特別な知恵があるにも関わらず、自分の能力に注目を引こうともしませんでした。むしろ、彼の言葉で神が主役であるということを示唆していました(2:28)。私たちが持っているものはすべて神のものです。物質的なものだったら、いつでも手放せるようにしなければなりませんし、賜物だったら、主の為に生かすべきなのです。この4人は選ばれた時点で、すでに優秀だったということでした(v4)。それにも関わらず、v17があります。つまり、彼らが持っている才能を神に委ねることによって、賜物が更に強められたといことでした。

この世で神の価値観を生きようとする為に、何が大切なのかというと、次の3Kでまとめたいと思います:

@決心すること(v8)
何事かをやる前に、あらゆる側面において自分の信仰や信仰生活を害するものがあるかどうか、また妥協しているかどうかを考慮し、決めるのが聖書的です。ある学生は、入学する時にクラブに入らないように決心しました。なぜなら、クリスチャン活動に参加できなくなるからです。逆に、ある学生は、イエス様を伝える為に、クラブに入ったケースもあります。よく人生の3大決断と言われる学校・就職・結婚においても、同じ原則を働かさなければなりません。若いうちに、聖書的な思考回路を養うことによって、将来、人生の判断の材料に繋がるのです。

A確信すること(v12)
彼らが信じている神様は、全能の神様であり、不可能なことは1つもありません。聖書にも書いているように、神を貴ぶ人は神がその人を貴ぶ(1サムエル2:30)。彼らはきっと、小さい頃から、ダビデとゴリラヤの話などを耳にしていました。ですから、事実無根な確信ではありません。歴史の舞台が変わっていても、神の性質は変わらないと彼らは確信しているわけでした。

結果的に、想像以上に、神は奇跡を起こしました。よく新約聖書に、イエス様は「あなたの信仰があなたを癒します」と言いますよね。まさに、こういうことですね。人間的な考え抜けないことはたくさんあります。私たちは、ともすれば自力で解決しようとすることが多いのです。しかし、不可能なことからこそ主に委ねる必要があるのではないでしょうか。

B献身すること
19節に彼らは王に仕えるようになったと書いてありますが、彼らの中で主に仕えています。捕虜として異国に連れられたことも主の主権の中にあるので、王に選ばれたことも主の御業だと信じているのです。ダニエル書を読んでいくと、このことがはっきりと見えてきます。

最後にまとめると、若いと言いながらも、ダニエルはこの世の価値観に左右されませんでした。ダニエルの神様は私たちと同じ神様です。主権者である神、また私たちのすべての持ち主である神なのです。その神様が私たちに求めておられることは、今も変わりがないのです。それは、確信に基づいた決心と献身です。
2001〜2006年度 巻頭言バックナンバー > 王美珠のバックナンバー