『卒業される皆様へ』
成實朝子(東北地区主事)
今は、ちょうど卒業式の時期ですね。ご卒業、おめでとうございます。
多くの方は仕事を始めたり、新しい学校で勉強を始めたりと、今までとは違った環境で生活されることでしょう。
ふと考えてみると、KGKではお別れ会や卒業を祝う会はあっても、卒業式はありません。学校ではないので当然ですが、『KGK運動に卒業はない』ということと結び付けるのはこじつけでしょうか?
今まで聖研やKGK運動でされてきた経験は、皆さんに役立っていくことでしょう。新しい人を迎えること、聖研のメンバーとの人間関係、互いを知り合い助け合うこと、自分の責任を取ること、生活を通しての証等々。これらは場所が変わっても、私たちが生きていく時に大事なことだからです。でもそれ以上に、私たちにとって最も大切な『神様との個人的な交わりを持つこと』は、この運動の中で養われたでしょうか。
新しい場所に出て行くことは不安が伴います。仕事を始めたら、予想しなかった状況があるでしょうし、「この選択で良かったのだろうか」と思うことも何度もあるでしょう。そんな時でも、私たちが生きる中で『神様と個人的な交わりを持つ』ことが最も大切であることに変わりはありません。
『職業としてどんな科を選ぶか、これは卒業を間近に控えた医学生にとっては非常に難しい問題です。僕の場合ははっきりした主の御示しがあったというわけではありません。でも根底には、いつ、どんなときにも、どのような神さまの導きにも柔軟に、身軽に従おう、という基本姿勢があったのです。この「神の導きに対するフレキシビリティ」をいつももっていれば、少々道をはずれても、すぐに帰ることができるはずです。そして、その神の導きをいつもつかんでいられるように、常に神に目を向けて視線をそらすことのないように、みことばを読み、祈る基本生活を徹底して守ろうと決意していたのです。キリスト者の信仰の基礎・霊的健康の源を、忠実に毎日繰り返すことが、自分を取り巻く環境や立場の変化を凌駕して、主の導きをはっきりと理解し、敏感に反応する姿勢を構築できることになるのだと思いました。今も、その決心は変わっていません。』(『主にあって働くということ』p158 「第11章 神の目、人の噂」鍛冶有登氏の文章より引用)
この皆さんの先輩のように、いつも神様に聞く歩みをしていきたいですね。そして、神様の助けをいただきながら、一歩一歩、歩いていきましょう。
今まで聖書研究会で聖研の活動やおもしろさを後輩たちに伝えてきたように、これからの経験も後輩たちに分かち合ってくださいね。
新しい歩みの上に、神様の守りと導きがありますように!!
引用文献 『主にあって働くということ』 編者 唄野隆 1995年 いのちのことば社発行