『あきらめる前に』
成實朝子(東北地区主事)
前期の活動の反省や夏期学校を通して「後期は聖研、がんばるぞ」と思っていたみなさんの中には、もしかしたら「やっぱりだめかも」と思い始めている人がいるかもしれません。「最近、人が集まらない」「みんなの意見がまとまらない」「どうして私が聖研のためにこんなにやらなくちゃいけないの?」と思うには、いろいろな原因があるでしょう。
自分が思っていたように事が運ばないと、イライラして、もういいやと投げ出したくなるのが私たちです(少なくとも私はそうです・・・)。
でも、そのような時こそ「どうして聖研をやっているのか」を考えるチャンスです。「どうして今、自分はここにいるのか」「聖研は何のためにあるのか」「神様は何を願っておられるのだろうか」などなど、自分でゆっくり考える時間を取ってみてください。目的を見失うと、その歩みは不安定になり、さらに不安とイライラが募ります。
もし、だめだと思う原因がメンバーとの関係にあるなら、話し合う時間を持つことをお勧めします。聖研に来ているから、クリスチャンだから、同じ方向を見ていると思っているかもしれません。しかし、同じ学内に遣わされていても、何度も一緒に聖研をやっても、それぞれが違う人格を持っている私たちです。お互いが持っている考えや課題を話し合わなければ、同じ目標に向かって活動していくことも難しくなります。
聖研に対しての思いを出し合うこと、相手の意見を聞く勇気を持つこと、相手に分るように話しをすること。お互いの考えを理解し合うのは、それほど簡単なことではなく、みなさんが思っているよりもたくさんの時間と労力が必要かもしれません。一回話し合っても、まだしっくりいかないこともあるでしょう。けれども、意見を聞く気持ちで話し合うこと以外に相手を理解することはできないのではないか、と私は思います。もし、あきらめずに話し合うことが出来れば、それによってそれぞれの聖研の中にある課題も目標も明確になり、そこから「自分はどうするべきなのか」がわかるようになります。
もうだめだとあきらめる前に、みなさんがなすべき事に向かっていく勇気が与えられますように。
「どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。」 (ローマ15章5-6節)