『イエスさまの招き』
長澤由希子(元事務局主事)
 こんにちは。お元気でお過ごしですか?
日常生活を送るなかで、みなさんはどのくらい、主イエスさまが共におられるというリアリティを持っているでしょうか。それも、人がほとんど目を向けないような地味な場面で私たちに出会ってくださるということを。

 KGK事務局での私の主な仕事は、会計実務です。KGK運動を支援してくださる諸教会や各地区卒業生の方々から頂く献金の中から、いつ何のためにどのくらい使ったのかを記録し、神様への感謝と信頼を報告することです。全国各地区から届く会計報告を取り扱うときは、KGK運動の全国的な広がりを思いつつ、1枚1枚じっくり見ます。北海道、東北、関東、東海、北陸、関西、中四国、九州。(沖縄への献金は現在のところ全国会計で取り扱っています。)
「今月は、教会の礼拝説教が多いな。家族の負担が大きいだろうな」「活動費が少ないけど、移動手段に無理してないかな」と、数字によっていろいろなことが分かります。
「今月も、必要が満たされて感謝だなあ」私は、電卓をたたき、収支があっているかどうか、確認します。
「ん??」  なんか、へんだぞ。そう思った瞬間、神様への思いは瞬時にふっとび、よく考えることもせず、自分の見方だけに頼って結論を出してしまうのです。
「まちがってる!」と。そんなとき、勇気を出してイエスさまに心の内側を照らしていただき、それを見つめる必要があります。考えることは軌道修正の始まりです。

1)何が間違っているのか?
罪がどんなことが分からなければ罪人の自覚が生まれないように、自分が間違っているという可能性があることすら気づきません。こちら側の計算ミスかもしれないので、違う方法で計算しなおすと合っていることがあります。

2)それでも計算が合わない。何が原因なのか?どうしてこのような結果になったのか?
 各地区で行われている活動の理解を深めたり、会計をする上でのルール(簿記)を学ぶことなく、ただ仕事をこなしていくだけでは、全体像が分からなくなり、混乱の原因を発見するのに余計な時間がかかってしまいます。分かったつもりでいたことが実は分かっていなかったことを知るのです。

3)どうすれば解決するのか?どうすれば相手を助けることができるか?
 自分でどうしても分かりかねる場合には、助けを求めます。推理小説を読み進めるように、キーワード(数字)を探し、ああでもないこうでもないと話しあい、原因とともに解決の道筋を辿ります。会計報告の向こう側にいる相手が、今後も喜んで奉仕に携わることができるように、相手の立場に立って説明をするように心がけるのです。

 毎日の仕事で何度となく 1) から 3) を行ったり来たりするのですが、悔い改めの機会は沈黙の中で与えられます。自己中心で、思いやりのない者が、罪を悔い改め、赦しの恵みに生きるように、イエスさまは日常生活に招いてくださるのです。あなたの生活にもイエスさまが共にいて、必要な助けを与えてくださいますように。

そこで、イエスは答えて言われた。
『医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。』(ルカの福音書5章31〜32節)
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