『絶対勝つぞ!』
フィル・マイルズ(元関西地区主事)
このような表現を、最近よく聞くのではないでしょうか。ワールドカップでは、日本のファンをはじめ、世界中の人が自分の国をこのように応援しています。自分が「絶対勝つぞ!」という気持ちを持てば持つほど、本当に勝てると考えているかのようです。ファンにとっても、選手にとっても、自分の情熱いかんで戦いの結果を決めることができる・・・そのような精神です。
もちろんこのことは、逆のパターンもあります。自分の国が負けるのは、選手やファンの情熱が足りなかったからだ・・・と言えるでしょう。今回、日本は予選リーグで敗退したため、このような話はマスコミでよく取り扱われたように思います。(オーストラリアに負けたことは、申し訳ありませんが)注:マイルズさんはオーストラリア人です。
私たちは、自分の人生の節目節目において勝ちたいと願います。サッカーだけではなく、就職活動、恋愛、家族関係等、良い結果は当然ほしいでしょう。クリスチャンの場合は、その願いはクリスチャン生活においてもあるのではないでしょうか。人生の節々ももちろんですが、何よりも勝利あるクリスチャン生活を送りたいと願っています。では、勝利あるクリスチャン生活について、どう考えたら良いのでしょうか。勝つ可能性は、実際あるのでしょうか。勝利あるクリスチャン生活を送るために、どうしたら良いのでしょうか。クリスチャンとしての情熱があればあるほど、勝利が得られるのでしょうか。
このような問いについて、ヨハネの黙示録に大切なことが書かれています。黙示録は分かりにくいものだと言われていますが、この書物のメインテーマの一つは「神が絶対に勝つ」ということです。やがて神は悪に絶対勝ちます。それと共に、この万物全体が新しく創造されます。この黙示録は、まず当時のクリスチャンのため書かれました。当時、迫害を受けているクリスチャンにとって、神がやがて絶対に勝つというメッセージは、非常に現実的なものでした。神が最終的に勝つなら、今の一時的な苦難を別の角度から見ることができるでしょう。この黙示録を受け取った迫害下にあるクリスチャンは、福音のために死んだとしても、それは無駄ではないと知りました。そのことによって、神に忠実に従い続けることができたのです。
私たちも同じ立場だと言えるでしょう。私たちも、神の絶対的な勝利を理解できたら、自分の人生を違う角度から見ることができます。神の勝利が、私たちクリスチャンの大きな励みになるのです。人生のそれぞれの戦いにおいて、またその取り組みにおいて、神の勝利という事実が、私たちを励ます大きな事実となるのです。
しかし、注意しなくてはならないことが2つあります。
一つ目は、その絶対的な勝利はまだ未来のことだということです。もちろん、神が将来的に勝つという事実があるため、クリスチャンは完全に悪に負けることはありません。しかし、天国にいくまで、私たちの人生には様々なトラブルがあるのも事実です。私たちは、今、その解決を得たいと願ってしまいますが、黙示録はそう語っていません。黙示録によると、今は神の勝利を待つ時代です。何よりも忍耐、忠実、神への信頼が、私たちクリスチャンに必要です。
二つ目は、神の勝利は、自分の情熱とは関係がないということです。また、自分の人生において勝利を体験するかということも、自分の気持ちとは関係はありません。私たちが熱心に信じるかとうかということと、神が絶対的に勝つという事実とは、何の関係もないのです。実はスポーツに関しても、ファンや選手の熱心さが勝利を決定するのか疑問なところです。(もしファンの情熱が基準であれば、阪神タイガースはこの数十年間負け知らずなはずです)クリスチャン人生において、自分の気持ちについて注目することは、実は大切なことではないのです。黙示録は、人生の戦いの中で、自分の気持ちにではなく、神の絶対的勝利という事実に目を向けるよう、私たちに注意を促しています。
イエスが言った、「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」