『違ってもええんちゃう?』
フィル・マイルズ(元関西地区主事)
 日本の森って、すごいでしょう。それよりきれいなものがあるだろうか。まあ、ないと言えると思います。まず、色が美しくて、柔らかいピンク、燃え上がっている赤、涼しそうな緑などが一年間の間に見られるわけです。いろんなムード、いろんな感覚的な可能性は同じ森の中含まれています。それはなぜかと言ったら、日本の森にいろんな種類の植物があるということなのでしょうか。桜、竹、松、杉などなどで、日本の森が創造されています。いろんな種類が、限られているところに、まざっていて、一緒に生きているということです。

 だが、この間、合宿のために奈良県の山の方に行って、違う可能性を見ました。それは人間が作った杉の森です。見たことがあるでしょう。その森では一つの木の種類しか許されていないわけですね。それは杉です。杉ばかりの森になっています。そして、その木は組織的に植えられているから、木と木との間がほとんど同じぐらいです。杉はいい木だと思いますが、こういう森は結局面白くないというべきではないでしょうか。でも面白くなくても、そのやり方の理由があります。それは、そんな森は管理しやすいですから。もちろん、全部は同じですから、特別なことが起こらないですから、そんなところは自然の森より、人間にとってコントロールしやすいわけです。

 さあ、人間の社会を、森のように考えてみて下さい。人間の社会は杉の森のようなものだったら、それは社会の支配者達にとっては非常に役にたつことになるわけです。みんなも同じようだったら、色々がやりやすくなります。一人一人の個性を認める必要はなかったら、社会全体はもっとスムーズに動けるはずということです。実は、日本の社会はそういうことこそを期待しています。日本の教育、会社の動き方などの大きな目的は、みんなが同じように考えたり、生活したりするようになることなのです。それは「一致」と言われています。杉の森のように違うことがない状態です。そういう一致はなかったら、社会全体がバラバラになってしまうという恐れがありますからそれは日本で強く守られています。

 けれども、日本の自然の森を考えてみて下さい。その森で、多様性もあるが、それでは一致がないとはいえないでしょう。実は、非常に深い一致がその中で存在しています。人間の社会でも、その多様性上の一致も考えられると思います。実は、神様は一人一人の人間を違うように造って下さいました。恐ろしいほどみんなの顔も性格も違いますから、人間の社会を杉の森のように持つことは大変難しいわけです。けれども、人間の社会を日本の自然の森のように考えたら、色々はピンときます。特に、一人一人に与えられた個性や賜物は、個人じゃなくて、みんなのためだと分かるでしょう。それは本当に意味深い社会の一致となると思います。

 だが、そんな社会はどのように管理できるのでしょうか。上から支配するのは不可能だと思います。全ては非常に複雑ですから。そのため、一人一人が主体的に、自分の人生の責任、または隣人を愛する責任を取らないとだめだと思います。そうしなかったら、社会は実際にバラバラになるはずでしょう。それでは、神様からもらった多様性を喜びながら、KGKでも主体的に生活をしましょうか。
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