『主の選び』
岸本大樹(関西地区主事)
イエス・キリストの十二使徒はスゴイ!彼らのうち誰一人として使徒と呼ぶに相応しい者はいないからだ。
シモン・ペテロとその仲間たちはガリラヤ湖の「無学な漁師」であった。中でもヤコブとヨハネは「雷の子」と呼ばれていたが、もしかすると短気な男たちだったかもしれない。短気な男だけではない。疑い深いトマスのような男もいた。また、ローマの手先となって税金を取り立てていたマタイのような男がいるかと思えば、熱心党のシモンはローマと敵対していた過激派である。彼らのチームワークは決して優れていたわけでもなく、「誰が一番偉いか」と何度も言い争っていたし、最後にはイスカリオテのユダだけでなく、全員が例外なくキリストを裏切ってしまった。「よくもこんな連中ばかりを・・・」と考え込んでしまうような、見事な顔触れである。
しかし、キリストは彼らに言われた。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」 (ヨハネ15:16a,新共同訳)
キリストは、彼らの欠点や弱さだけでなく、その罪深さや醜さをもご存知であった。やがて彼らがご自分を裏切ることまでご承知の上で、使徒として彼らをお選びになったのである。
我々も使徒たちと同じである。キリスト者として、その信仰や実績を誇れる者はいない。何度も罪や過ちを犯してしまう、ちっぽけな存在である。しかし、我々がキリスト者であり続け、福音のために働くことが許されているのは、キリストの選びに他ならない。
「イエス・キリストの十二使徒はスゴイ!」と言った。しかし、本当にスゴイのは使徒たちではなく、彼らをお用いになっているキリストである。そして、キリストのスゴサは、我々を通して今も進行中である。