『人となられた神』
服部滋樹(元東海地区主事)
「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また葬られたこと、また聖書に従って三日目によみがえられたこと、・・」 (コリント人への手紙 第一 15章3-4節)

 キリストの誕生に触れていないパウロにとって、主イエスの誕生はその死と表裏一体という理解だったのであろう。確かに主のご降誕はそのまま十字架に至る道であった。
 しかし、受肉の奥義は主イエス・キリストの物語が神の物語でもあるということである。神は私たちの時間と空間の世界に真にかかわったのである。

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(ヨハネによる福音書1章14節)

 クリスマスの近いこの時期、私は4年ほど前に参加した所属教派のある聖会で日本福音キリスト教会連合・川越聖書教会の岸本紘牧師が紹介して下さった詩を思い出さずにおれない。岸本師の翻訳による「長い沈黙(The Long Silence)」という詩である。この詩を紹介させていただきながら、ご降誕の主イエスの生涯を思いたい。

The Long Silence
しばしば問われること。この苦しみの様を神は知っているのか?
この苦しみに満ちた世を知りながら、遥か天上で見ているだけの神ではないのか?
それでいて神は私たちを裁く権利があるというのか? 神は苦しみを知らないではないか。
そう言ってひとりの女性がブラウスの袖をまくった。
ナチスの収容所でつけられた囚人番号が見えた。「私たちは恐怖と拷問と死を耐えてきたのよ!」
黒人の男の子が襟首のボタンをはずした。ロープの跡が生々しかった。
「何にもしないのに黒人だというだけでリンチを受けたんだ。」
レイプされて妊娠した女子学生が、「どうして苦しまなければならないの?! 私のせいじゃない!」
神が見逃した悪と苦しみについて、神にむかっての抗議が続いた。
「天にいる神はなんてラッキーなのだろう! この世で人がなめつくした苦しみを神は知っているのか? 神はシェルターの中で結構な生活をなさっていることだ。」

そこで人々は各グループの一番苦しんだ者を代表として送り出した。
ユダヤ人、黒人、広島の代表、サリドマイドの障害児、それらの代表が一同に会した。
「神は正義の審判者である前に、彼らが受けたすべての苦しみを自ら経験すべきだ。そうだ、神はまず地上に生活すべきだ。人としてユダヤ人として生まれよ。出生の正統性が怪しまれよ。
彼に困難な仕事を負わせて、家族にまでも「あれは気がふれたのだ」と思われよ。
一番身近な友に裏切られよ。偽りの告発にさらされよ。偏見のある陪審員らに裁かれよ。
臆病な裁判官による判決を受けさせよ。拷問を受けさせよ。最後に彼にひどい孤独を味わわせよ、そして死なせよ!」

各グループの代表がそれぞれの言い分を述べるたびに、集まった群衆から賛成の声が沸き上がった。
そして最後の代表が述べ終わると、長い沈黙が続いた。 ・・・・・
誰一人声を発しなかった・・・・。誰一人動かなかった・・・・。 突然に皆の者が知った。
神はすでにご自分の刑期を終えられたのだと。
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