『最後の切り札』
安藤理恵子(元総主事・元関東地区主事)
 正月にテレビの映画を見ていたら、オカルトやゲテモノがたくさん出てきた。こういうのはあんまり観ない方がいいな〜と思いながら向学のために鑑賞する。
 アメリカでオカルトと言えば、必ず聖書がダシにされる。聖書の預言が適当にピックアップされて神父やヘブル語学者によって重々しく解説され、登場人物は「さばきが来るのよ!」と恐れ惑い、悪魔が何かの形をとって出てきて「わはははは」と高笑いする。でもその悪魔が一人の女性への愛に苦悶したりして、観ている側は悪魔に同情してしまう。イエス・キリストも何かの形をとって出てきて、「解決策はある」とまことしやかに主人公を励ます。で、何が解決策かと言えば、人の愛だ。自分の子供のために命を捨てると絶叫する母親の愛ゆえに、恋人の捨て身の愛に感動して悪魔が癒された(?)ゆえに、なんだかわからないけど、この世は裁きから免れるのであった・・・
 「そーか、神の権威と悪魔の恐怖で筋書きが作られて、でも結局は人の愛と勇気が奇跡を起こすってことなのね」と思って別の映画を見てたら、ほんとに全部そんな感じだった。

 しかし、これって、われらキリスト者が同意できる価値観なのだろうか?

 地上の様々な災害、戦争、悪の力の増大、悲惨と泥沼・・・そんなリアルな筋書きを前にしたときに、あなたなら解決策として、ストーリーの終盤戦、誰に何をさせるだろう?

 キリストが十字架にかかってくださった。この一事で、あなたはこの映画を終わらせることができると思えるか?これが人類の悲惨さの解決になると思えるか?どこかで「ここでキリストが出てくるのはうそっぽい。真実味に欠ける」と感じていないか?
 ではあなたにとって、真実とは一体何なのだろう?聖書はあなたの生活の真実に関して、どのレベルまで影響力をもっているのだろうか?

 テレビを見るといつも思う。画面の彼らは「キリストなんて切り札がこの場面に通用すると思うのか」と挑戦してくるヘビだ。「神の用意した手段より、もっと現実的でみんなが納得できる解決策はこっちだろ?おまえもそう感じてるだろ?」
 いや、私は惑わされないぞ。聖書にはこう書いてある。

「神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。」第一ヨハネ5:4
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