思いを超えて働く神
矢島志朗(中四国地区主事)

学生時代に一人の友人が救われました。ゼミナールの仲間で、ある日、食堂でのふとした会話をきっかけに信仰の話になり、教会やKGKの集会に来てくれました。KGKのクリスマス会に一緒に出た後に感想を聞いたら、「びっくりした。いまどき、こんなさわやかで礼儀正しい人たちがいるなんて・・・」と感動していました。その後も教会に通い、年明けのある集会で信仰の決心に導かれました。

卒業して最初に働いた職場で、とてもまじめで仕事熱心な友人がいました。上司との関係などで苦しんでいることをよく話してくれて、祈る時もありました。10余年経ってお互いが別々の道へと進み、友人からメールが数年ぶりに届きました。そこには以前に私が送ったみことば「あなたがたのあった試練はみな人に知らないものではありません。・・・・」(Ⅰコリント10:13)がずっと心の支えになっていることが書かれていました。驚きと感謝が湧いてきて、彼の救いのために祈りました。

大学と職場で起こったこれらの出来事の中、私は別にクリスチャンとして常にアクティブで、絶好調であったわけではありません。燃えている面もあった反面、人間関係で打ち解けられず暗かったり、仕事が思うように進まず、会社の倉庫でぐったりしたり、鬱々として休むこともあったり、もがいていた日々でした。そんなただ中なのに、友人が救われたり、みことばが届いていく。あわれみ以外の何ものでもありません。自分の思いを超えて主ご自身が働いてくださることを思います。自分が「イケているかイケていないか」ではなく、どんな状態にあっても主が共にいて香を放ち、語ってくださることに信頼をし、遣わされた場で誠実に歩むかどうかが問われます。

教会やKGKに友人を最も誘いやすいクリスマスが近づいています。時期です。思いを超えて働いてくださる神に期待して、「救われてほしい、誘いたい友人」の名を挙げて祈り合って、共に歩んでいきましょう。

「しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至るところで私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。」(Ⅱコリント2:14-15)


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