卒業後を見据えて
塚本良樹(関東地区主事)

KGKが、その歴史のなかで、大切にしてきたことがあります。それは「卒業後を見据える」ということです。

学生時代は、3~6年で終わります。当然のことですが、学生のみなさんにとっては卒業後が圧倒的に長いのです。しかしながら、学生時代をどう過ごしたかということが、卒業後においてもキリスト者として歩むことに大きな影響を与えるのだということは見過ごされやすいのです。

卒業後こそ、キリスト者は厳しい試練を経験します。悲しいことですが、学生時代熱かった信仰が、その中で崩されていくことがあります。また、卒業後こそ、さまざまな重要な決断を迫られます。そのときに聖書に立った決断ができるかということが本当に問われるのです。

学生時代に「土台」が築かれなければなりません。聖書が本当に神のことばであると言えるのか、それはいかなる意味で神のことばなのか、聖書は何を語っているのか、救いとは何であるのか、生きる意味は何なのか。このようなことを徹底的に問いましょう。

あるいはキリスト者として生きる上で直面する課題にどのように向き合えば良いのかということにも、学生時代にこそ本気で取り組むことによって、人生の圧倒的長い時間身を置く「仕事」の意味を、聖書から受け取っていくことができるでしょう。あるいは、信仰を継承し、次の世代の模範となっていける「家族」を形成するために、結婚・家庭というテーマも聖書から学んでいかねばならないのです。

知的に学ぶだけで充分というわけではありません。日々聖書を読み、祈り、交わりをもつなかで、練られた品性が形成されていくでしょう。自らの弱さや罪、傷を見つめる経験は、それでも愛され、救われていることの意味を深めてくれるでしょう。そのように築かれた人格は簡単には崩れません。

これらのことに努めることは、友人に福音を伝えることにおいても大切なことです。卒業後も、キリスト教信仰を伝えることのできる「ことば」が備えられ、あるいは直接ことばで伝道することが難しい職場にあっても、そこにいる人々に、あるいはこの世界に心から仕える意味を受け取り、キリストの香りを放つ品性が整えられるのです。

もちろん、卒業後にも成長があり、成熟があります。しかし、忙しさと責任のなかで、ゆっくり学んだり、考えたりという時間を取ることが難しいというのが、周囲を見渡したときの実感です。

「やがて」の卒業後を本気で見据えるとき、学生時代の生き方が問われるのです。あなたは「きょう」をどのように過ごすでしょうか。


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