『あなたが若いうちに』
安藤 理恵子(関東地区主事)

 高校2年で信仰を持ち、一浪の後に入学した喜びの中で、とりあえず聖書研究会っぽいサークルには入ろうと思っていた。探し当てた学内の「KGK」ではDPM(毎日の祈祷会 Daily Prayer Meeting)をやっていた。一度行ってみたら、男性の先輩1人しか来ていなくて、「ここにかかわるにはちょっと気合いが必要だな〜」と思ったものだ。

 1年生の時はクラスの仲間と遊び歩き、KGKには今ひとつなじむことができなかったが、2年にあがる時に、それまでのふぬけた信仰生活に終止符を打つべく、学内リーダーを引き受けて、地区活動の存在を知り、KGK活動にはまり始めた。

 毎週の聖書研究会には、数名が集まるときもあれば、ひとりも来ない日もあった。「今日だれも来なかったらどうしよう」「変な(?)人が来たらどうしよう」(ちなみに当時は異端グループが学内で猛威を振るっていた)とあれこれ心配しながらも、「住み〜たまえ〜き〜み〜よ〜ここに〜このむ〜ね〜に〜」と歌いながら自分を励まして、図書館の会議室(ちなみに当時はその日に空いている会議室を使って聖研をしていた)に向かっていった。自分がここに遣わされていることを、恐れとともに受け取ろうとしていた。あのとき、「たとえひとりでも、主の前に、やるべきことはやろう。主がやらせてくださる。」と小さな決意を多少ビクつきながら繰り返していたことは、私の献身生活の原点になっていると思う。

 KGK運動に出会ったからには、いや、主イエス・キリストに出会ったからには、私たちは自分の人生を問われ続ける。自分の全生活を主に明け渡さない限りは、宣教という主の業に携わる勇気も起こってこないということを、私たちは突きつけられつづける。この迫りへの応答を、後回しにしてはならない。

 私たちは、まず「ひとり」として主の前に出る。神の目はあなたひとりに注がれ、あなたひとりの応答が待たれている。今、あなたが若いうちに、この全能者の招きに答えてほしい。そしてその祝福と、自由が与える、信仰者としての快感を経験してほしいと思う。

たとえ学内でただひとりのクリスチャンであっても、KGKの学内活動はすぐに始められる。
授業を受ける教室の中で、この学校の人々の救いのために、ひとりで祈り始めてみなさい。
学内活動は、私たちが主からの訓練を具体的に受ける、献身と伝道の最前線なのだ。


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