●「なんか、これからいいことあるの?」 カレン・ダルダ(中四国地区主事) |
あんまり期待しなかった「夢のカリフォルニア」の新しい夜の連ドラの第1課を見て、驚きのエンディングだった。久しぶりのクラス会で大学生の年となった4人が再会し、クラス会が終わって母校に戻り、少しづつ卒業後の歩みを話す。逆転人生のように、いじめられた子が大成功、人気者がドンゾコ。最後に一番その時の人気者の男の子が急に皆に聞く、「なんかこれからいいことあるの?」皆がどういうことか分からない内に、そして誰も答えられない内に、彼は屋上から飛び下りる。第1課終わり。
最近の連ドラはこのようにショッキングの刺激を与えないと誰も見ないことになって いるなあ、と思いながら、その男の質問を振り返って考えた。「なんか、これからいいことあるの?」私にいきなり聞かれたらどう答えるでしょう。じゃ、皆さんに聞きます「これからいいことあるの?」同じ大学生として答えられない人はおそらく沢山いるでしょう。けれども、今は答えられなくても、探そうともしないことは本当に悲しい選択だ(ドラマの世界だと分かっているよ)。大人としての人生はこれからだ、という普通ワクワクのときに、もう人生を閉じたいと思うことは....
今のドラマで第1課に命がなくなるというショッキングなことで終わらせるならば、私が見続けるためにいったいどういうショッキングなことを見せてくれるでしょう。あのようなショッキングなことに慣れ過ぎてもっと大きい、もっと楽しい、もっと刺激的な、もっとショッキングなことを求め続けている内に最も大事なことを考える余地でさえも残らない。これが人間の愚かさ。
聖書にもとってもショッキングな話は沢山ある。どんな話よりもなにも罪なんかなかった人が罪ばかりの私達のために死んで下さった。それも残酷な死に方。「またこのメッセージか」とでも、このショッキングなメッセージに慣れ過ぎたアナタは思っているでしょう。でもこのメッセージだけがあの男の質問の答えになる。なんかこれからいいことあるの?という質問に対して、あるよ、と答えて下さる。「これしか残らない」と思ってしまう死を自ら選んで、そしてそれ以上の物を与えて下さる。イエス・キリストがそのように代わりに死んで下さったから私達の「これから」に意味を付けて下さり、照らして下さる。
ショッキングな十字架の話に慣れ過ぎた私達はつい次の「刺激」に進もうとする。でも話が終わらないから、消さないで欲しいの。ショッキングな十字架の話のさらにショッキングなことはこれはあなたのためにだけではなく、あなたによることだ。なのに十字架の後に与えられたのは永遠の命だ。永遠の命が与えられたということはあなたも十字架を負って、イエスと共に生きること。これからいいことあるの?あるよ。十字架を負って用意された永遠の命をイエスと共に大いに味わうではないか。このことにはいつまでも慣れ過ぎないでしょう。