●AIMING FOR GOSPEL GROWTH WITHIN KGK (福音の成長を目指して) グラハム・スミス(関西地区主事) |
KGKとの関わりが長ければ長く程、伝統に縛られる危険性があります。KGK活動に慣れると運動の意味を忘れてしまう傾向がある。組織を「守るモード」になってしまいます。Mission(宣教)はMaintenance(守る)になってしまいます。残念です。天の神様はすべての人がキリストの下に集まれるように願っています(エペソ1:9-10)。そのためにイエス・キリストを送ってくださって、キリストの福音が語ること、また、人がこれを信じることによって、その願いは実現されます。神様は福音の成長を願っています(コロサイ1:6)。キリストの愛は私たちを取り込んでいるから(2コリント5:14)、私たちはその福音の働きをやっている。備えられた働き場はKGKという素晴しい運動です。その運動がますます神の栄光を表わすように願っています。そのためにKGK運動が成長するように願っています。
私が気になることはKGKの中心メンバー(学生、主事、協力会、卒業生会、理事会)は神のビジョンを忘れて、今のままでいいと思ってしまって、成長可能性が弱くなっています。運動が成長しないと死んでしまう危険性があります。
運動の成長の妨げは何があるでしょうか。
いろいろ考えられると思いますが、最近感じて、考えていることを分かち合いたいのです。それは、KGKの成長の妨げは「成長」に対する考え方から生まれるということです。
今のKGK運動はそのまま、永遠に続けると思います。なぜなら、基本的な活動はクリスチャン学生の交わりだからです。クリスチャン学生がいる限り、学生同士で交わる場を作って、祈り合って、何とか活動が続けます。聖書の分かち合い、祈祷課題の分かち合いぐらいが出来ると思います。越教派の団体として、クリスチャン学生が紹介され、学内また交流の形で学生は主体的に交わりを求めて、KGKに関わって、大学時代に信仰が守られます。厳しく評価すると、KGKは「Maintenance Model」になってしまいました。
しかし、福音主義にたつ運動と言うとその交わりモデルは不十分だと思います。クリスチャンは主体的、守るところから成長のところへ向かうべきだと思います。神が与えられたビジョン(みこころ)は学生がクリスチャンになり、そして、クリスチャンとして、成長し、全生活を通して証しするということです。確かに、交わりはそのプロセスの基礎ですが、その交わりの中クリスチャンは真面目に聖書を学んだり、友人に福音を語ったりする必要があります。
主事にとって守るモデルがやりやすいです。学生に任せることは充分です。でも、神様にとって、それはどうでしょうか。神様はKGK運動が成長するように願っているのではないでしょうか。成長するためにどうしたらいいのか。交わり(守る)状態から、成長(宣教)までは学生は助けがいると思います。聖書の学びの提供、いろいろな訓練と導きが必要とされていると思います。今の主事だけでは不十分だと思います。教会の牧師やKGKの卒業生にお願いして、積極的に協力してもらう必要があると思います。でも、成長のメリットを認めなければその助けを依頼しないと思います。皆さんがみころの成長をもっと積極的に考えてもらいたいのです。実際に実行することは難しくても、主事たちと一緒に頑張りましょう。